はじめまして!たむと申します。
本日は私のブログにお越しいただき、ありがとうございます!
私は32歳で学歴は中卒、WEBスキルなしです。
中卒が社会へ出た時、どんな現実が待ちうけているのか?
突然ですが、こんなお悩みありませんか?
②大卒より仕事ができるのに、学歴のせいで評価されない…
私自身そのことに悩み、調べた結果がこちらです↓
①求人数の差
私が住んでいる姫路のハローワークで調べた結果、求人数は3,700件。
しかし「学歴・経験不問」にすると、たったの480件にまで減ってしまいます。
②職種にもよりますが、30代前半の中卒、高卒、大卒の平均年収の差は
・中卒 374万円
・高卒 403万円
・大卒 496万円
そんな中卒の厳しい現実に直面し、この中卒の壁を越えたい!
そう強く感じた私は、ある目標を立てました。
在宅ワークで1年後に月30万円を達成します!
何故在宅ワークなのか?
仮に大卒で社会へ出たとしても、毎日通勤ラッシュに時間を取られストレスも増える。
でも、在宅ワークなら通勤ゼロ!環境も選べる働き方で、自由な時間を手に入れる!
そんな働き方を、学歴に関係なく実現できると証明するために、私は挑戦します!
素晴らしき在宅ワークの道のりを、同じように悩む人の1つの選択肢になればと思い
ブログで具体的に書き記していきます。
中卒の私が、在宅ワークで働きたいと思ったきっかけを
お話しさせて頂ければと思います。
生年月日:1993年の2月生まれ
趣味:音楽、LIVE、犬吸い、漫画、ゲーム
推し:お文具さん
好きな食べ物:魚、ケチャップ料理、アイス
人生のバイブル:僕のヒーローアカデミア、東京リベンジャーズ、ブルーロック
逃げ続けた幼少期
お母ちゃん、おばあちゃん、姉、私の4人家族
両親は私が2歳の時に離婚しました。
女性4人の我が家。晩ご飯を食べるときはTVの音がよく聞き取れないほど賑やか。
みんなよく喋るし、声も大きい
そんな中、私は家族の会話を聞いて頷いたり笑ったりするだけ。完全な聞き役ポジションでした。
幼稚園でもみんなの輪に入るのが苦手だった私は、いつも隅っこでおえかき。
そんなある日のこと、幼稚園の劇の練習が始まり、悪い小人役Cになった私
セリフは「ごめんなさい」のたった一言。
ただ私は、何回言おうとしても「ごめんなたい」としか言えません。
先生の困った表情に、私は俯いてしまい
周りの子供たちは面白おかしく「ごめんなたい!」「ごめんなたい!」と連呼し始めました
怒る先生の声、面白おかしく言う子供たちの声が響くなか
私は泣き出してしまいました。
そこからの記憶はほとんどないのですが
覚えていることは、私は劇にでなかった。ということ
今思えば、この出来事が逃げ続ける人生の始まりでした。
小学生になっても、あの日のトラウマが消えず
家の中では少しずつ話すことも出来るようになったのに、一歩外に出たら喋れない。
いじめの標的にもなってしまい、小学3年生からは休みがちになり
不登校になってしまいます。
逃げ癖がついてしまった私。
中学2年生からは学校へ全く行けなくなり、家に引きこもってしまいます
家族の崩壊
外の世界が怖かった私にとって、家は唯一の安心できる空間でした。
優しくて正義感が強い母ちゃん、料理が上手くて物知りなばあちゃん、面倒見がよくて面白い姉。
お父さんが家にいないことで、母ちゃんと姉は普段からよく揉めていました。
そこに、私の不登校・引きこもりが重なり姉は1年後に家を出ると決意したようでした
「家族がばらばらになるなんて考えられない、、」
私は、姉に皆で一緒に住むよう説得しますが断られます。
困り果てた私は必死に考え、子供ながらに1つの作戦がひらめきました!
「姉ちゃん、引っ越し資金を半分出すから一緒に引っ越そう!」
私の作戦とは、姉と一緒に引越し数年後には家に連れ戻すというものでした!
引越し資金を半分出すと勢いで言ったものの、貯金残高を確認したら後少し届かない額。
姉が引っ越すまで後1年。時間は、刻一刻と迫っていました。
「何とかお金を用意しないと」そんな時、携帯で見つけたネット求人
外の世界は怖いけど家族を失うことに比べたら、、と意を決して求人先に電話をかけました
面接に散々落とされ、社会の厳しさを痛感
何店舗受けたか分からなくなるほど面接に落ち続け16歳の秋、やっと採用されました!
変わっていく家族
私の貯金は引越しをした事でゼロになりましたが、姉と大阪へ引越すことはできました。
ただ、すぐにでも働かないと。
もう18歳だったこともあり、バイトはすんなり採用されました。
したっぱ&周りが歳上ばかりということもあり
率先して動いていたら、先輩に誕生日を祝っていただいたりとても可愛がってもらいました
外の世界は怖くない場所もある。そう思えた瞬間でした。
大阪に住んで1年が経った頃、姉がふと漏らした言葉
「お母さんとケンカしてばっかりだったけど、離れて暮らすほうが大切にできる」
姉は家族みんなで暮らすことを、もう望んでいない。
姉の言葉にショックを受けると同時に、それは何となくですが分かっていた事でもありました。
家族がばらばらになる。私はその現実を受け止めるのが嫌だったんだ、、
姉を実家へ連れ戻すことは辞めよう。そう、心に決めました。
そして、その頃半年ぶりに実家へ帰ったのですが
そこにはもっと受け止めたくない現実が待ち受けていました。
母ちゃんは人が変わってしまったみたいに、
言葉が攻撃的になっていて、特におばあちゃんへのあたりが強い
私はこの半年の変化に戸惑うしかありませんでした。
おばあちゃんに後日、電話で事情を聞くと
「娘2人が引越してしまったのは、私のせいだと思っているみたい、、」
と、悲しそうに言いました。
「それは違う!」誤解を解こうと母ちゃんに話しても、聞く耳をもってくれません。
そのことを知ってからは、実家へ帰るたび2人の間へ入りましたが上手くいかず
それどころか、ますます溝は深まるばかりでした。
高収入×学歴不問

姉が家を出ることを決めたのは、父が家にいなかった事と
私が不登校になり母ちゃんが私に、かかりっきりの状態になってしまったのが原因
おばあちゃんは何も関係ないのに、、
日に日に私の中で、罪悪感が重くのしかかってきました。
何か楽しいことがあっても実家のことを思い出すと素直に笑えない自分がいる。
このままじゃ、おばあちゃんが可哀想。
そして、昔は優しくて正義感が強かった母ちゃんも心の奥ではきっと傷ついてる。
「この状況を何とかしないと」頭はそのことで常にいっぱいでした。
追い打ちをかけるように、腹痛と下痢が続き、病院へ行くと過敏性胃腸炎になっていました。
実家にいる家族も辛い状況なんだから、私も胃腸炎になって苦しむのは当然だ。
やっぱり、自分だけ幸せになるなんていけない
そう思う一方で、「自分も含めたみんなが幸せになる方法はないか?」
胃腸炎の痛みに耐えながら、ずっと模索していました。
みんなが幸せになる方法。もう、最終手段しかないかもしれない。
そして私は、母ちゃんに引越しすることを提案します。
もちろん、引越し資金を全てだすことを条件に。
数年前に引越しを経験していた私は
だいたい、100万円ぐらいの引越し資金を予定して提案したものの
心配性な母ちゃんは「200万円ぐらいないと引っ越しなんて無理!」とキッパリ言い切りました。
予想の倍の金額に一瞬、怖気づく心。
でも、姉が家を出る原因を作ってしまった申し訳なさと、ずっと消えない罪悪感。
私は200万円を貯めるため、転職することを決めました。
求人サイトを見ても高収入で学歴不問の求人など、ほぼない状態。
それでも、1件1件電話をかけ続け初めて派遣へ登録。
営業の仕事を紹介され採用されました。
中卒なのですが大丈夫でしょうか?

人手も足りなかったため初日は「携帯見てる人に接客して」と言われ放置状態。
今まで来てくれた人に対してしか接客してこなかった私
「何て声かけよう」「どうやって会話続けたらいいんだろう?」
初日は2~3人にしか声をかけることができず、
声をかけても「見てるだけなので」と返されてしまいお辞儀をしてその場を離れるという
今思い出しても情けない営業デビューでした。
仕事が終わった後は、明日の出勤が怖くて怖くてたまりません。
クビを切られるのも時間の問題かもしれない。
けどこの職場を辞めることになったら、次はもうないかもしれない
これはなんとかしないと、、そう思い私は職場じゃない量販店へ行き
携帯コーナーへ足を運び、スマホを見ているふりをしました
「来た、、!」予想通り携帯コーナーのスタッフに声をかけられ
私はどんな声かけをして、どう会話を続けるかをざっくり覚え
次の日に職場でそれを繰り返すことをはじめました
幸い、携帯のスタッフでない私は詳しい案内になれば
携帯のスタッフへバトンタッチし、光回線の知識を先輩に教えてもらうまでは
この方法で職場へ貢献することにしました。
そして、いつしか声をかける恐怖はほとんど無くなり
気がつけばキャッチが得意になっていた私
光回線の知識を教えてもらった後も、度々キャッチ要員でヘルプに呼ばれていました。
スマホを見ている人・携帯コーナーに立ち寄った人
全員に声をかけ成約率もうなぎ登り
私の接客は、他社の携帯スタッフの中でも話題になっていたようで
ある日、他社の営業さんに声をかけられ引き抜きにあいます。驚くことに正社員のお仕事
もちろん、私の第一声は「中卒なのですが大丈夫でしょうか?」でした。
中卒でも正社員になれる!給料も上がり200万への道が一気に開けてきました!
ですが、この職場で私は中卒の壁を思い知ることになります
意識低い系の先輩

転職先は光回線の種類は変わったものの、前職の時から他社回線の知識も比較するうえで
頭に入っていたので、さほど困りませんでした。
大きく変わったことといえば、
前職は光回線のスタッフが10名以上いたのに比べ、転職先は私をいれて2名だったこと。
同僚のKさんは営業歴が20年のベテラン!
「はじめまして!分からないこととか何でも僕に聞いてくれたらいいから!」
ちょっと、ナルシストっぽい感じがしたけど学ぶことはたくさんありそう。
初対面はそんな印象でした。
それから数ヶ月が経ち分かったこと。
Kさんは確かに知識が豊富なのですが、それを披露するのが好きすぎる。
話が長く、お客様の表情が曇っているのに気づけない。
お客様の興味をひき、座ってもらうまではいいのですが
そこからはじまる知識のお披露目ショー!
つい先日までは、こんな詳しいことまで知ってるなんて先輩凄い!と思っていた私。
でも今は「話が長すぎる、、」と心の中でため息をつく毎日。
そして、知識のお披露目ショーが終わり成約に繋がっても、繋がらなくても
満足そうなKさんを見て、この人は何をしに職場に来てるんだろう?と呆れてしまいました。
営業ノルマは月に最低○○件。
それなのに、うちの店舗はいつもギリギリ。
この状況を分かっているのか、いないのか
Kさんは、相変わらず何も変わりません。
定時になると颯爽と帰っていくKさん。
「通勤に1時間以上かかるから、残業はしたくないんだよね」と言うKさんに
私は最初「全然、大丈夫ですよ!」と言いました。
けど今は、そんなKさんにイライラが積もるばかりでした。
知らないほうが良かった現実

そんなある日、私とKさんは上司に呼び出されます。
これまでも不定期で上司が見回りに来ることは良くありました。
(スタッフがサボってないか等のチェックをするため)
ただ、呼び出されるのは初めてのこと。
従業員の休憩所へ着くと、上司は私たちと向かい合って座りたわいのない雑談をはじめました。
そして、上司は帰り際
「そういえば、毎月ノルマは達成してるけどちょっとギリギリすぎないか?
来月は新しい機種もでるから他社には数字とられないように頼むよ」と言い帰っていきました。
上司の背中を見ながら私は思いました。
雑談じゃなくてそれが言いたかったんだよね、、
来月に向けて何か成約がとれる方法を考えないと。
その日の帰り道、私は久しぶりにKさんと一緒に駅まで歩きました。
一緒にノルマ対策を話し合うために。
ところが、私が上司の話を切り出すや否や
Kさんの上司や会社への愚痴がはじまりました。話も長いし愚痴も長い。
呆れる私に気づかずKさんは愚痴を話し続け、ようやく気分がスッキリしたのか
「ま~ノルマがギリギリでもクビにはならないから!」
とドヤ顔で自信満々に言いました。
そして、このあと私は驚愕の事実を聞くことになります。
「それに残業しなくても月給30万は貰えるわけだから、こんなに良い仕事はないよね!」
当時の私は残業をして、月27~8万円、、
え、30万も、、もらってたの?
その後のKさんの言葉は頭に入ってこず
家に着いた私は、今日あったことを姉に全て話しました。
「残業なしで30万とか嘘なんちゃうかなー」と頭を捻りながら言う私に対して
「大卒とかじゃない?多分」姉の答えはシンプルでした。
翌日思いきって確認をすると、Kさんは大卒でした。
知りたくなかった中卒の壁が、私の前へ立ちはだかりました。
どれだけ頑張っても報われない

それからの私は、仕事に精がでずKさんを見ると怒りなのか闘争心なのか
自分でもよく分からない感情を抱くようになっていました。
そして私の会社は、半年に一度研修があり
エリアごとにロープレをしたり、関西全体の表彰式などを行っていました。
いつも他人事のように見ていた表彰式。
もし私が表彰されたら?私は昇給しこの現実を変えることが出来るかもしれない!
翌日からの私は、前職で培ったキャッチという武器と
ひたすら声をかける粘り強さの強みを活かし、光回線の案内をする日々が始まりました。
目標があると人ってこんなに頑張れるんだ、、!
そして私は半年後に見事、表彰されます!
やっと、変わるはずだった。
ですが現実は何も変わらず、私に残ったのは虚しさだけ。
ただ、私の手元には200万円が貯まっていました。母ちゃんの引越し資金です。
「変えれる現実を変えにいこう」実家へ向かって歩き出しました。
「娘が大事に貯めたお金で引っ越しなんてできない、、!」
頑なに言う母ちゃんを何とか説得し、最後は半ば強引に引越しを決行しました。
引っ越しも終わり、大阪へ帰る電車のホームで母ちゃんは私に言いました。
「ありがとうね。せっかく貯めたお金なのに
これからは、自分のために使ってね」
母ちゃんの表情は昔のように優しく、私は嬉しい気持ちで胸がいっぱいでした。
母ちゃんの引越しが終わり、再び貯金がゼロになった私。
200万円という大きな目標もなくなり、ただただ日々は過ぎていきました。
自分の未来にお金を使うという選択
母ちゃんが私に言った「これからは、自分のためにお金を使ってね」という言葉。
今さら自分のために、どうお金を使ったらいいんだろう。
日常に楽しさも見いだせず、現実逃避にSNSを見ていた私。
そこに、あるオンラインスクールの広告
通勤なしの働き方というワードが目に留まる。
そしてその時頭に浮かんだのは週5日、通勤に一時間以上をかけ職場へ向かうKさんの姿。
私が闘志を燃やした相手。
もし私が通勤なしで月30万を達成したら?
今度こそ私は、中卒の壁を乗り越えることができる!
私は覚悟を決めました。その向こうへ行くことを。
貯めるためだけだったお金を、初めて未来の自分のために使う。
オンラインスクールへ入会し、人生初の自己投資をしました!
順調なスタートダッシュ
オンラインスクールへ入会し、なんと2ヶ月目で初案件を獲得します!
「そんなにうまくいくの?」と思うかもしれませんが、初収入はたったの5円。(笑)
クラウドワークスのアンケート案件での収入でした。
クラウドワークスとは?
在宅ワークで働くフリーランスと企業が、仕事を依頼・受注できるサービス
「たった5円…?」と思うかもしれませんが、実は私なりの作戦があってのこと!
まずは、アンケート案件でコツコツ実績を作り、
ある程度の実績が積みあがった段階で数千円のお仕事へ応募するというものです!
例えば、自分が仕事を依頼する側に立った時
実績が10件の人と、0件の人がいた場合どちらに仕事をお願いするか?
そう考えてのことでした。
私はこの作戦で、ついにXの運用代行の仕事(月2,145円)を獲得します!
仕事内容はこちら↓
・25アカウントのいいね&フォロー×3セット
・1投稿&DM作業(依頼主が決めた文をそのまま使用)
・作業報告
この仕事内容の詳細や、
他にもクラウドワークスで働いたお仕事の一覧は、別記事にまとめ予定です。
現状を変える突破口
順調に案件の数も増えていき、最初は睡眠時間を削って作業する日々でしたが、
業務に慣れ、スキマ時間を工夫しながら、ようやく 「仕事と生活のバランス」 を
取れるようになってきました。
でも、私の目標は在宅ワークで30万円を稼ぐこと。
「後、何件の仕事を受けたら達成できるんだろう、、」
そんな焦燥感を抱えながら、私は突破口を探していました。
私が入会したオンラインスクールには、動画学習のコンテンツがありました。
数多くある動画のなかでも、私が何度も見返していたのはマーケティングの動画でした。
何故かというと、数年前に読んだ本で見た
【マーケティングの究極の目的はセールスを不要にすることである】という言葉。
営業を経験したからこそ、より分かることセールスを不要にすることは容易ではない。
その言葉は、ずっと忘れられずに頭の中にあったのです。
「マーケティング思考を身につけたら、価値のある人材になって収入はあがる。
そうすれば絶対に現状は変えられる!」
そんな直感が働き、私はひたすらマーケティング動画を見続けました。
そんなある日、オンラインスクールで
WEBマーケティングを学べるコースが始まりました。
「これだ!!!」目の前に現れた突破口。
このチャンスを今、手にしないと絶対に後悔する。そう確信した私は
マーケティングを本格的に学ぶことを決意しました。
「在宅ワークで1年後に月30万円を達成する!」私の挑戦が始まります。
けど一体、どうやって月30万円を目指すのか?
それはこちらの記事をご覧いただければと思います。
私自身、学歴に悩み、選択肢の少なさに不安を感じてきました。
人が不安になるのは、選択肢が少ない時。
これは、私が常に心の片隅に置いている言葉です。
このブログが私と同じように学歴で悩む「あなたの選択肢の1つ」になれたら嬉しいです。
私のこれからの挑戦を是非このブログで一緒に見守っていただけたらと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!